普段からよく思っていることで。
人生厳しいな〜と感じる瞬間は今まで山ほどあった(今もそう)んだけど、具体的に何が厳しいのか考えたことがなくて、ただ漠然とそう思っていただけなんじゃないかということで今回は一旦整理してみた。
人生の何が厳しいのか
何が厳しいのか。
色々考えたけど、これは社会に認められないことだと思う。
ここで言う社会とは会社だけではなく、地域コミュニティであったり、家族・友人関係や恋人・夫婦関係であったりと、人間の関係性全てを指すこととする。
それらがうまくいかないことがつまりは社会に認められないということなんじゃないだろうか。
僕はお世辞にも友人が多いとは言えないし、恋人もいない。家族関係も悪くはないが至って良好とも言えない。そして就活がうまくいかなかった。
こういった一つ一つはそこまで大きくない要因でも、積もり積もって生き辛さになっているんじゃないかと考える。そして上手くいってる人間と対比し、自己嫌悪に陥ってしまう。
この抜けられないもどかしさが、人生がしんどい原因だと考える。
今までアサガオのように育ってきたせいなんじゃないか
小学生の頃よく育てた記憶があるアサガオって、支柱がないとうまく成長しないんだよね。要は支柱にツタが絡みついてその体を保ってるわけよ。
なんかその姿と僕ら日本人は結構似ているなと思っていて、大抵の人は保育所・幼稚園→小学校→中学校→高校→(人に寄っては)専門学校・大学と、用意された支柱に絡みついて過ごしている気がする。
その後漠然と就活をして、企業に受かれば会社員として働く人間が多いだろう。
今は個の重要性が説かれている時代になりつつあるけど、こんな経歴を送ってきた人間に果たして自分で生き抜く力があるのか?
日本は主要海外諸国に比べて授業での積極的な発言や自主的な行動が圧倒的に足りないらしい。確かに時代は変わりつつあるものの、今ぼくが通っている大学の現状を見る限りまだまだ受身の人間が非常に多いように思う。
そこで、じゃあ僕は積極的なのかというとそうではない。僕も同じくその場の雰囲気に萎縮してしまう。
だから大学卒業後の就職先を自由に選んで試験を受けに行けと言われたとき、どうしていいかわからなかった。結局就活はうまくいかず今こうしているんだけれど。
全部が国の教育制度のせいだとか、国民性のせいとは言わない。ただ人間は環境によってその個性を大きく変えるものだから、日本に生まれ育ったことで自主性が乏しくなったということは一要因として主張できると思う。
仲の良い友人が2ヶ月で会社辞めた
最近、同じ大学に通っていた友人が4月に就職した会社を2ヶ月(コロナで1ヶ月自宅待機だったらしいから実質1ヶ月)で会社を辞めてしまった。
どうやら仕事内容に嫌気が差したのと、馴染めなかったことが要因としてあるらしい。
今新卒の3人に1人以上が3年以内に会社を辞めていると言われている。せっかくこれまで小中高大と頑張って過ごしてきて入った会社を3年以内に辞めているという事実。
多くの世論は会社とのミスマッチを原因として挙げているけれど、これも自主性の無さや妥協から来るものだと僕は考えている。
現に僕や友人がそうだからだ。正直そんな人間が1/3の割合で存在することはかなり異常なのではないか。
将来の方向性を決めるということ
今お世話になっているインターン先の社長に、将来やりたいことを聞かれた際にうまく答えることができなかった。
なんでみんなそんなに簡単に将来の方向性をスパッと決めることができるんだろうと、ここ数年ずっと疑問に思っている。
そして未だにどんな将来を歩みたいのかが分からない。
確かに、前の記事で書いたように海沿いの街に住みたいだとかはある。だけれど何の仕事がしたいのかだったり、どういう風に生計を立てて生きていきたいのかという面に関しては未だどうしていいのか分からない。
僕も23歳になり、決して若くない年齢になってしまった。こんな甘いことをほざいていいのはせいぜい10代後半までだろう。だけれども、未だにどうしていいのか分からない。
まだ、流れに沿って行けば自然とうまくいくのではないかと楽観的な視点を持ってしまう。
さいごに
じゃあどうしていけばいいのか。
これについても色々考えた。つまりは圧倒的情報不足が要因として挙げられるんじゃないだろうか。
何も知らない人間は誤ちをおかしやすい。つまり目の前のデバイスで貪欲に何をするべきなのか調べることが全ての始まりなんじゃないだろうか。
それすらできずに就職ならエージェントに全て頼ったり、周囲の意見に流されて行動する人間が圧倒的に多い。
真の情報取捨選択は、今後の未来を自ら切り開くために必須なんじゃないかと思う。
よく分からない記事になってしまったけど、今色々考えてることをただ吐き出したらこんな感じなってしまった。終わり。